
どこにあるの?

平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群ーは、岩手県にあるよ!地図で見てみよう!
この世界遺産は、奥州藤原氏という大きな力を持っていた一族がつくった「中尊寺」「毛越寺」「観自在王院跡」「無量光院跡」という4つの寺と、「金鶏山」という山の5件が登録されているよ!
どうして世界遺産(せかいいさん)に選ばれたの?
(ⅱ)建築や技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展において、ある期間または世界の文化圏内での重要な価値観の交流を示すもの⏩文化の交流がわかる!
(ⅵ)「顕著な普遍的価値」を持つ出来事もしくは生きた伝説、または思想、信仰、芸術的・文学的所産と、直接または実質的関連のあるもの。(この基準は、他の基準とあわせて用いられることが望ましい。)⏩有名な人や文化とつながっている!
平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群ーは文化遺産として2011年に世界遺産に登録されたよ!
この世界遺産(せかいいさん)の歴史(れきし)やすごいところ
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どうしてこの場所がえらばれたの?むかしの話も知りたいな!

この世界遺産は、日本独自に発展した仏教建築や考え方が評価されているんだ
11世紀〜12世紀ごろの日本は京都に天皇やほかの偉いひとが住んでいて、東北地方には藤原清衡というひとが力をもっていたよ。
当時の東北地方では戦争がたくさんおきていて、清衡さんとそのこどもたちは、「戦いのない平和なくにをつくりたい!」とおもって、平泉にお寺や金色のたてものをつくったよ。それが「平泉」なんだ!
清衡さんは、「中尊寺」というお寺をたて、なかに「金色堂」という金ピカのお堂をつくったよ。
これは、家族を戦争で亡くした清衡さんが、
「戦争のない平和な世界と極楽浄土(亡くなった人がいく苦しみのない世界)をつくりたい」
という強い思いで建てられたものなんだ。
清衡さんのあと、
・二代目:藤原基衡
・三代目:藤原秀衡
がつづけて平泉をおさめたよ。
このころの平泉は――
🌸 お寺や庭がたくさん
🚢 ほかの国とも貿易をして
🎨 文化や音楽も発展して
とても豊かで美しい町になったんだ。
平泉も仏教と政治、まちづくりがどんどん一体化していって、
とても立派な街ができたよ。
でも、すごく悲しい終わりがあるんだ。
三代目の秀衡さんが亡くなったあと、
息子の藤原泰衡の時代に、京都から源頼朝という武士が攻めてきたんだ。
平泉は戦いにまけて、町はこわされてしまったんだ。
建物の多くは焼けてなくなってしまったんだけど、
金色堂、お寺のあと、きれいな庭のあとなどが残っていて、
平泉は今でもそのころの人々の平和への願いを伝えているよ。
どんなみどころがあるの?
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そんな悲しい歴史があったんだね。でも金ピカなお堂を見てみたいな!
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平泉のなかでも金色堂は一番の見所なんだ!

中尊寺金色堂はぜんぶ金でおおわれたお堂だよ。
中には、藤原清衡さんたちの4人のお墓もあるよ。
金色堂は、上の写真のように、建物でおおわれているよ。
中の写真を撮ることはできないから、
じっさいに見に行くか、中尊寺の公式ホームページを見に行くといいよ!
平泉にはほかにも
・毛越寺:大きな池と庭があるお寺
・無量光院跡:むかしの大きなお堂のあと
・観自在王院跡:きれいな庭のあと
・金鶏山:浄土の位置をあらわす大切な山
が登録されているよ!

900年もまえのものがこんなに美しくのこっているなんてすごいよね!
これからも平泉の平和へのおもいを未来に伝えていきたいね!
せかにゃんのトリビア
中尊寺には奥州藤原氏の初代・藤原清衡、2代・藤原基衡、3代・藤原秀衡の遺体と、4代・藤原泰衡の首がミイラ化したものが納められているよ。日本の偉い人が3代続けてミイラ化されたのは奥州藤原氏だけなんだ!
まとめ
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平泉は、平和を願うひとたちがつくった、仏教の教えをもとにつくった美しい町だよ!
みんなもぜひいってみてね!